前書き
西欧の書字芸術を再発見し、近代カリグラフィーの祖、とも称されるエドワード ジョンストン(Edward Johnston)がその著「書字、彩飾、レタリング」(Writing & Illuminating,and Lettering)(以下WILと略)を著したのは1906年。その出版100年を記念し、2006年の夏、英国Dichling美術館で彼に関する美術展が開かれた。
この美術展を企画したユアン クレイトン(Ewan Clayton)(以下、Ewan)はこの美術展の閉会に際して、カリグラフィの過去を振り返るのではなく、未来を見つめた何か(object)で会を閉めたいと願った。そこで選ばれたのが日本の大日珪子さん(以下Keiko)であった。
招待を受けたKeikoはDichlingに赴き、現地で当地のカリグラフィ愛好家に対して彼女のカリグラフィに対する今後の考え方、夢を話した。それはつまるところ「カリグラフィペンで絵を描く」ということであった。
以来、Keikoは日々刻苦精励、毎日カリグラフィペンを握り、カリグラフィペンの可能性を試し,拓いてきた。
以下に紹介する「線を描かない日は1日たりともない:大日珪子の仕事」(Never a day without making a line:The work of Keiko Okusa)は、そうした彼女のDichiling以降の約20年にわたるカリグラフィの技法開拓の研究成果を、Ewan 自身がまとめたものである。このEwanのレポートは,2023年春号のTHE SCRIBE誌に掲載された。巻頭を飾る堂々10ページの力作である。
Ewanは英国人にしてカリグラフィ研究の第一人者。自らカリグラファーでもある。
THE SCRIBEは、英国のカリグラフィ協会の会報誌。Journal of the society of the scribes and illuminators (写字、写本装飾作家協会会報誌)を名乗る。この世界では自然科学界でのNATUREにあたるメディアである、とのわかりやすいたとえ話がある。
Art Beat Chino(ABC)はこの10ページの英文記事を全訳し、Art Beat Chinoの読者が読んでいただけるように、カリグラフィ愛好の皆さんが読んでいただけるように、と決心した。大きな決心だった。(この辺の経緯は、編集子独語の4回に亘る「カリグラフィ」に詳しい)。奮闘ひと月余り、やっと完訳が成った。魑魅魍魎に絡めとられ飲み込まれることは無かった。心配だった版権問題も実に明快に解決した。今となってみれば、やはり何とかなった。
版権の問題については神経を使った。万一の場合、日本、英国に亘る問題となり、著作権者とABCあるいは編集子が関係する問題となるのは当然として、まずくすれば大日さんをも巻き込む可能性を恐れた。
結果は取り越し苦労だった。著作権者たるEwanの簡明、明快な許可の言葉がそれまでの疑心暗鬼を宇宙の外まで吹き飛ばしてくれた。
和文への翻訳についてはABCのネット担当チームが活躍した。大日さんご自身のお手も煩わせた。全く予備知識のないカリグラフィの世界で、専門用語、専門知識の壁に振り回されて右往左往、自爆するかも、と恐れていたが、これまた取り越し苦労だった。。無論、大日珪子さんのお力をお借りした。仮訳10ページが出来た時点で、仮訳のコピーをお渡して誤訳始め修正すべきところについてのアドバイスを頂けるようにお願いしたが1日、2日で見てくださり、3時間余り、補足説明までいただいた。補足説明いただいた部分はじめ、欄外に「補注」として説明を加えようという考えもあったが、手数と効果等を考え、諦めた。大日さんから頂いた補足説明の他にも、翻訳作業の過程で知ったネット経由のいろいろな話、知識、西欧での印刷技術成立までの写本やその装飾技術の生成発展のことなど、なるほどと膝を叩く事も多く大層勉強になった。中国、東洋、日本での写経、写本の文化のことも思い出されて、やはり、人間のすることは世界中皆同じ、と思うこともあった。
訳の正確さ、的確さについては未だ改善、改良の余地ありと思っている。この点については、読者の方のお声を是非
お聞きできれば、と思う。誤訳のご指摘、訳文の意味不明瞭さ、その他、訳に関してのご意見歓迎します。ABCサイト内の「問い合わせ」欄、編集子独語の、「連絡先」等、考えられる方法でご連絡ください。
さて、前置きはここまで。
次ページから Never a day without making a line:The work of Keiko Okusa の和訳を始めます。
全10ページあります。